『Beauty 〜あや(仮名)、21歳、大学生〜』

『Beauty 〜あや(仮名)、21歳、大学生〜』(ソフト・オン・デマンド)


監督の梁井一(やないはじめ)氏は、デビュー作『ウチの嫁さんは大塚咲です』で大塚咲夫婦のセックスを撮った26歳の新人監督さんなのですが、今月5日に新作が一気に3本も出たので発売日に買って観てみました。

ちなみに『ウチの嫁さん〜』はドキュメントとして食い足りない部分は多々ありなんですが、他作品では潮吹きまくって“セックスの為に生まれてきた”ようなドエロさを見せつけている大塚さんが旦那さんに抱かれ、その地味で静かな普通のセックスで心底幸せそうにしている姿を見て、私はなんか思わず「セックスってやっぱり好きな人とするものだよなぁ 」なんて思わさせられたりしまして。
そんな気持ちにさせられるAVってめったにないですし、プロフェッショナルな稀代のセックスマシーンたる大塚咲に、そんなセックスをさせる場を作り上げたこの監督はなんだか結構侮れないんじゃないかと思いまして、その本領が分かるであろう次回作を楽しみに待っていたのでした。


で、この『Beauty』なんですが、結果的に言いますと、「うーむ……」と唸らざるをえない、「これでいいのだろうか?」感が山積みの内容なのでした。
アダルトビデオ初出演の女の子3人を、『Beauty』『Pure』『Natural』とそれぞれ別タイトルで梁井監督が撮られているのですが、それだけではウリが弱かったのでしょうか、何故か漫画家江川達也氏とコラボレーションしているんですね。
作品ごとにパッケージを書き下ろし+手書きの推薦文付き(表と裏2パターン)というもので、例えば『Beauty』だと、M字開脚した裸の女の子のイラストの横に、【シャイな女の子の心を裸にしたこの作品は見る人の心も裸にする】てなコピーが書かれています。
お店で店員さんが作る手書きのポップがありますけど、あれをプロの漫画家がやっている・・と考えてみると、まあ贅沢な感じですね。
(余談ですが私の近所のお店のポップに書かれていた『拝啓坂口華奈様。貴方は僕の手淫の女神です』というのがいまだに忘れられません…)
このパッケージ、ショップでも結構目を引きますし、作品のウリと方向性が一発で分かる面白い試みだと思います。

【あの娘がこんなコトしてこんなカオするなんてショックだ!!】
そんな江川氏のコピーを見て、こんなプリミティブな童貞目線で、初脱ぎにドキドキしている女の子の鼓動が伝わるようなセックスを見せてくれるんだな、と期待するわけですよ、こちらは。
しかし、この作品が本当に「シャイな女の子の心を裸にし」て、「見る人の心も裸に」したかというと、やっぱり「うーん……」という感じなんですね。


作品はまず、主演の女の子あやちゃん(21歳)と監督が浅草をデートする場面から始まるのですが、ビデオ初出演の女の子にいきなりスタジオでインタビュー&セックスさせるのではなく、年齢も近くて打ちとけ易いであろう梁井監督とデートしてその気取らない素顔を見せ、女の子に親近感を抱かせてからホテルでのドキドキの初セックスという流れはいいと思うんです。あやちゃんが花やしきのジェットコースターに乗って楽しそうにはしゃいだり、その後行った焼肉屋で好物だというお肉を頬張る姿なんかは実にイキイキしていていいんですね。
しかし、男の存在はうざいから見たくないというユーザーの意見におもねた演出なのでしょうが、監督の姿と音声が徹底的に排除されていて、監督の喋る言葉は全てテロップで示されているので2人の距離感や空気感が掴めなくて、いまいち入り込めないんですね。恋人設定のバーチャルものなら分かりますけど、デビュー作のデートシーンでもこれをやるのかと…

でもってこのデートっていうのも単なる撮影の建前的なおざなりなものなので、浅草デートの定番である浅草寺で人力車に乗ったり花やしきで遊んだりするものの、どれもなんか「その画が欲しかっただけなんだろうなぁ」って感じが伝わってきちゃうんですよね。
編集のせいでそう見えるのかもしれませんが、具体的に私が気になったのは、花やしきでジェットコースターに乗った後、「怖くなかった?」と聞く監督に「(そっちが)怖がってたじゃん」とあやちゃんが突っ込んで笑い合うというほのぼのしたいい場面があるのですが、その次のカットで「じゃあ、好きな焼き肉でも喰いに行きましょうか?」と監督のテロップが出て、2人は園内を出ていくんですね。なんか「はい、この画撮れたからここはもう撤収〜」みたいな感じが漂いませんかね? 私はここちょっと引っ掛かってしまうんですよ。別に「もっと花やしきで遊べ」と言いたいんじゃなくて…。


ちょうどこの場面で流れている音楽の提供者・カンパニー松尾監督(正確にいうと松尾監督が作った音楽ではなくて、松尾作品でよく使用されている音楽を梁井監督に提供しているという意味です。前作でもスタッフテロップに協力者として名前が出ていました)が、自身の作品で女の子と遊園地とかに行ってもそういうのにまったく興味を持たず、乗り物そっちのけで露出プレイさせたり、さっさと出て行ってホテルでハメ撮り三昧〜っていう展開があったりしますけど、そういうのなら見ていて「この監督らしいなあ」と思えるんですよね。監督自身の「デートなんかよりハメ撮りがしたい」という意志が見えるし、だからやってることに筋が通っている。でも梁井監督は、そういうのじゃないなんか別のこと…作品撮る為に、体裁の為にやっているというか…そういうのが見えてしまうんです。このデートっていう企画自体に。一言で言えば「お仕事感」てやつが。

なおかつ、その後に続くホテルのハメ撮りでは、監督は別の男優にすり替わっているようで、デートして打ち解けたはずの2人の距離感や親密さがまったくゼロになってしまっているから、まったくもってデートした意味がまるでないんですよ。


あやちゃんは色白でキレイなおっぱいとピンクで優しい色の乳首をしていて、ウエストもキュッとくびれているし、足もキレイ。清潔感漂う初々しさがあるんですね。と同時に「この汚れないカラダをめちゃくちゃにしてみたい」と思わせる未開発な部分と色気を秘めている。そんなあやちゃんとホテルで2人きりになったらまずはそのカラダをじっくり見つめてみたいと思うじゃないですか。

なのに、ベッドの前であやちゃんがカーディガンを脱ぎ、インナーに手を掛けたところで画面が切り替わり、[chaptey*2 ハメ撮り]と表示され、次の場面ではもう全裸になったあやちゃんがベッドで布団を被り、監督からピンクローターを手渡されている場面になってしまうんです。
「ビデオ初出演なんでしょ?! カメラの前での初脱ぎ姿を何故撮らない?!」と思わず憤ってしまいました。もったいないったらありゃしないですよ。
掛け布団をはねのけたあやちゃんの乳首がそこで初めて見えるんですが、もはや何の感動も湧いてきません。当たり前のようにAVで女の子が乳首を出している映像がそこにあるだけで、あやちゃん(仮名らしいですが)というこの世にたった一人しかいないの女の子がカメラの前で初めて乳首を見せることのありがたみがまったく感じられないんです。


で、このハメ撮り。昨今珍しいくらいに素人感丸出しというか、明らかにプロの仕事とは思えない稚拙さで……あやちゃんじゃなくて男の方がですよ。
もちろんここでも男の言葉はテロップ表示なのですが、ピンローでオナニーしながらもまったく声が漏れずちっとも感じていないあやちゃんに対し、「感じてる顔見てるとね、凄い興奮する」「(おまんこを見ながら)こんな綺麗なの見た事ないよ」「アナルのまわりもちょっと気持ちいいんだ? 今日だけ? 今日から? 感じるようになっちゃった?」と初ハメ撮り(でしょう、多分)の感動を口走り続ける男。しかもずっと「はあはあ」という鼻息が聞こえ続けるんですよ。
カメラワークもあやちゃんの顔のアップかおまんこのアップだけという単調さで、自身は顔ばかりか手さえも写さないようにしている為か、オモチャ(黒いスティック状のバイブとローターの中間みたいなやつ)で弄るばかりで、自分のおちんちんさえ写さないんですね。挿入中はずっとあやちゃんの顔のアップのみ。射精はもちろんゴムの中。顔や体で精液を受ける描写なんてありません。
この撮り方は、女を本気で欲情させて相手の心に入り込める太賀麻郎さんくらいにしか許されないハメ撮り手法ですよ。あれぐらいの人でなきゃ女性の表情だけで見せきるようなハメ撮りなんて撮れるはずがない。

キスもない、フェラチオもない、クンニもない、舐め一切なしのセックスってこんなにつまらないとは。いやそれ以前の問題なんですがね…。ちなみに正常位の時に男の上半身が見えるのですが、体付きがどう見てもおっさんぽくて(梁井監督は痩せ形なので別人だと言い切れるのですが)、乳輪がちょっとどうかと思うくらい大きくて真っ黒。江川氏の漫画に出てくる男性キャラの乳首に相似しているので、もしかしてハメ撮り男の正体は江川氏なんじゃないでしょうか(いやそんなわけないですけど)。なんか冴えない中年男がNG事項の多いキャバ嬢を無理やり金で落としてハメた映像を見せられた気分になっちゃいました。


パッケージを書かれた江川達也氏はこれを見てどんな感想を持ったのでしょうかね。

デマンドと江川氏のつながりって、自身が監督された『東京大学物語』の製作とDVD販売で関わっている他に、「江口達大」という変名で何本かAVを撮られたりもしているようです。
今作もせっかく江川氏とコラボしているのだから、どうせなら撮影現場に江川氏を呼んで、あのエロいとしか言いようのないヘラヘラした笑顔と口調でセクハラインタビューさせるとか、女の子をモデルに絵のデッサンしているところとか見てみたかったですね。江川氏を前に全裸になって股を広げ、顔を赤らめる女の子と、それを見てニヤつく江川氏の図とか。こんな出来の悪いハメ撮りよりも、この後にあるプロ男優とのセックスよりも、よっぽどいやらしいと思うんですけどね…


照明に照らされた明るいスタジオで、男優ピエール剣氏との2度目のセックスがあるんですが、撮影前のメイクされている時や撮影後の方が笑顔も自然に出るあやちゃん。でもセックスではほとんど声も出ず無反応…。
【非常に反応の悪いSEXでした】とテロップでも出るように、監督が頭かかえている図が目に浮かぶようです…


梁井監督は以前、ビデオ・ザ・ワールド誌で松尾監督&バクシ―シ山下監督と対談されていて、そこで「僕はやっぱり女の子が撮りたい。(女優が)仕事でセックスするっていうのに違和感があるので、もっとプリミティブな感情で撮りたいんです」と話されていて、いまどきこんな人が、しかもデマンドというメーカーにいるという事が面白いし、そんなAVを私も観てみたいと思っていたので、この作品も、観る前は期待していたんですよ。


ちょっと話し変わりますが、2ヶ月位前に渋谷シアターNに井口昇監督の『ロボゲイシャ』を観に行った時に、劇場でフツーにお客さんとして観に来ていた梁井監督を目撃しまして。そこでまたちょっと興味を持ったんですね、梁井監督に。


AVって、セックスの深いところまで突き詰めて、その世界を極めている人の事は素直に凄いなと尊敬するのですけれど、仕事として撮ったり、AV以外の映像を観ることもなく普段からAVにどっぷり浸りきっている人ほど、エロいものは撮れないような気がします。例え形だけのエロは撮れても、そこに奥深さはないというか。

AVの中身や売れ筋がいくら昔と比べて変わろうとも、すっごい可愛い子が出てきてセックスして、そのことに「こんな娘がこんなことしちゃうの?!」って驚くその感覚って絶対的なものというか、それだけは100年経っても変わらないんじゃないかと思います。
そんな映像は、やっぱり普通の感覚、プリミティブな感性を持っている人でなきゃ撮れないものだと思うんです。それは≒「普通の日常を大事に生きている」ということであると思うんですね。


梁井監督が自身のブログ(なんかやらされてる感たっぷりでほとんど更新されてませんが…)でたった一言「AV以外の体験がしたい!」とだけ書かれている時があったのですが、きっと普段のAD仕事が忙しすぎて、その逃避願望的に放った言葉なんだろうという気がしますが、私はなんかその言葉には、なんだか信じられるものがあるなって思っちゃうんですよね。エロにどっぷり浸る日々に、エロから離れることでエロに対する感受性を取り戻したいという気持ちもあったのではないかなと。そういう人こそ、本当にエロいものを撮って見せてくれる気がするんです。井口監督という、かつてAVをプリミティブな童貞目線(いえ「小学生目線」と言うのが正しいかもしれません)で撮り続けていた人の一般映画作品を観にわざわざ劇場に出向くという、梁井監督のその行動に、なんか信じられるものがあったんです。



そんな期待がこの作品で脆くも崩れかけているのですが、今作のハメ撮りが梁井監督ではなかったのは何らかの大人の事情があるのでしょうし、最後のコーナーで監督であるはずの梁井氏が何故か「ADヤナイ」として画面に出てきて、それを撮っている監督(役のひと?)が他にいるという、意図のよく分からない構図(あるシーンではADヤナイ氏とその監督《顔は映らないが姿は映る》を一画面に収めているから、余計に『監督』というものの存在が訳分からないことになってます)も、きっとデマンドという大きな体制に抗えない何らかの事情があっての事なのだと思います。なんかよく分からないけど、梁井監督の演出でこうなっている訳ではなくて、誰か指示する人がいてこんなことになっているんだろうなというか…

でも、何故ADヤナイ氏が出てくるかというとちゃんと必然性があって、あやちゃんが男優の志戸哲也氏、保坂順氏、ADヤナイ氏の3人と一緒にカレーライスを作って、その過程で誰とセックスしたいかを決めるというコーナーだったのですが、「自分のことを思ってくれて、何でも言う事聞いてくれる」人が好きと語っていたあやちゃん(良く言えば寂しがり屋だし、悪く言えば相手に求めてばかりで自分からは何も与えられない人。きっと今までルックスで近づいてくる男ばかりで、いいセックスなんてしたことなかったんだろうなぁって思います)の好みをあまり反映していない男優チョイスで、ここはやっぱり鈴木一徹さんと山田万二郎さん(可愛いらしいお顔されたM男優さんです)辺りがちょうどいいんじゃないかと思ったり。

でもですね、あやちゃんに選ばれた志戸さんはほんの一瞬で恋人ムードを作り、本作では一番生々しいあやちゃんの反応を引き出していて、「撮影現場で男優とセックスしちゃうこの前まで素人だった女の子」っていうエロさをきちんと見せてくれる絡みでした。スタッフを排除してカメラを担当するヤナイ氏の3人だけっていう空間が良かったのだろうなぁ。あやちゃん、ちゃんと感じてるし、合間に笑顔も出るし。
志戸さんは頭切れる人で、撮影しながら何故かTシャツを脱ぎだしたヤナイ氏を見て、その意図するものを汲んだのか、騎乗位の途中であやちゃんにヤナイ氏のおちんちんを咥えるように仕向けるんですね。でもヤナイ氏はふにゃちんのまま勃起することなく、せっかく志戸さんが作ってくれた見せ場も活かせず、事後、ベッドに横たわるあやちゃんに全裸姿でティッシュを持って近づきながら「全然出る幕ねえわ。俺もっと頑張ろうと思ったのに」と溢し、監督名のテロップも出ないまま作品は終わるのです。



うーん…やっぱり【シャイな女の子の心を裸に】はしていなかったし、見ている私の心も裸になんてされなかったです。

梁井氏の立ち位置のあやふやさ(監督なのかADなのか)も見ていてスッキリしないですし、梁井氏が作品でおちんちんを出すにしても、こういう出し方じゃ全然ダメだと思うんですよ。おちんちん≒女の子とのスタンスって意味で。



以前、ある監督からこんな話しを聞きました。

「最近ADやっている若い奴に作品のメイキングを撮らせてるんだけど、そいつの女の子へのスタンスっていうか、踏み込み方が毎回一緒でさ。そいつが撮影の合間に女の子に声を掛けるだろ。その時の第一声が必ず『ダルいよね』なんだよ。つまり、こんなおっさんだらけの現場でチヤホヤされてセックスしなきゃならないのなんてダルいよねって。自分の若さを活かして友達感覚で女の子との距離を縮めようって作戦なわけ。そのやり方が成功してるかっていうとどうとも言えないけど、アプローチの一つとしてはまあアリだなって思うよ」


デマンドという、決して自分の自由には撮れないであろう場所で梁井監督がドキュメント作品を撮るとしたら、こういうスタンスなんじゃないかなぁと思うんですが、どうなんでしょうかね。



カレー作りの前に、このカレーを作るという作業自体が「長い前戯になるんですけど」と言っていたように、この作品も、梁井監督が今後本当の意味でプリミティブな感情で作品を撮られるまでの、長い前フリだと思う事にします。




   梁井監督へ。
   いつか、監督が好きだと話されていたニューハーフさんを撮って、ハメ撮りを見せて下さい。
   そしたらまた発売日に買って観ますので。 木下より