『僕の視力は1.5』

[今回の日記は非エロです]



私が唯一毎週かかさず見ているテレビ番組がNHKの「中学生日記」なのですが、年明けに再放送されていた『僕の視力は1.5』は、とても面白くいい作品でした。


一言で言うと、あるコンプレックスを持った男の子同士の友情と成長物語なんですが、いいんですよこれが。
眉毛の太い日本人形のような顔をした主人公の山本君と、太っちょでいじめられっこの坪井君。この2人には、それぞれ誰にも言えない秘密を持っているのですね。


山本君にはある言葉を言おうとするとドモってしまう癖があり(「上」を「う、う、う、う、うえ」と言ってしまったりする)、ドモりそうな時は黙るか別の言葉で濁してしまうため、本当に思っていることとは違う自分を表現してしまう。(そのため、本当は目は悪くなんかないのに視力検査の結果は0.5)
坪井君は幼い頃の怪我が原因で右手の小指が曲がらず、そのことに触れられたくないがゆえ、お風呂に入らず不潔になって周りの人間を遠ざけている。(しかしそのせいで同級生達からいじめられ、クラスの中で孤立している)


そんなお互いの秘密を打ち明け合い、2人は仲良くなるんですが、学校のクラスメイトの前では他人のふりをするのです。何故かと言うと、坪井君はいじめられっこだから。彼と一緒にいると自分までいじめられてしまうからです。小学生の頃、ドモリが原因でいじめられた経験のある山本君は、今自分もそれと同じことをしている。けれど、本当の自分を出したらドモリがバレてまた皆にいじめられる。だから他人のふりをする。
坪井君はそんな山本君のずるさと弱さを許せず、時に厳しく追及したりする。「学校にいる時とこうして2人でいる時と、どっちが本当のキミなの?」と。山本君はその矛盾を自覚していて、だからこそ誰よりも本人がそのことで悩み、苦しんでいたりするのです。


このストーリーって、脚本・演出家の佐々木正之さんの実体験でもあるそうな。(小学校の頃、近所のドモル子をからかって真似していたら、自分も本当にドモルようになってしまって、それが社会人になってからも続いたそうです)
山本君の葛藤には、そんな佐々木さんの過去の自分自身が映し出されていたりもするんですね。
佐々木さんはドモってしまうことの辛さを「時間制限のあるクイズ番組で、全問答えが分かっていても口に出せないうちに時間が来て、失格と判断され、その現実を受け入れる感覚」と表現されています。
ドモってしまう人の本当の辛さは私には分かりませんが、「思っている言葉と口に出す言葉が違ってしまう」という経験は、自分にも思い当たります。人前だと上手く言葉が出てこなくて、焦って話せば話すほど本当に言いたかったことからどんどんズレていく。そんな感覚。もどかしくてもどかしくて、自分が嫌になるような、そんな感覚。
(一緒にするのは間違っているかもしれませんが、これは「好きな相手に対して素直になりたい時に一番素直になれない」ような感覚とも、どこか似ているような気がします。自分が出せない、生まれない、もどかしさ)


この山本君て男の子、どこかで見た気がするなぁと思ったら、井口昇監督の作品に出てくる唯野未歩子さんに似ているんですね。(そういえば主人公2人の設定も『クルシメさん』とどこか近いものがあります。しかし展開と結末は『クルシメさん』と似て非なるわけですが・・・て当然ですが)
ドラマの中で演じているように、実際も電子オルガンを使い自分で即興演奏するのが好きだという山本君。鍵盤に触れた途端、何かが宿ったかのようにイキイキと音を鳴らし出す、その姿がいいなあ。劇中演奏している曲はほとんどが彼のオリジナル曲らしいのですが、彼の個性をしっかりと生かしきっている脚本・演出もとてもいいなと思いました。
彼が自分の葛藤に決着をつけ、新しい一歩を踏み出すために、昔の同級生の女の子に会いに行く場面での、夕日の美しさも印象的です。


2人の遊び場or隠れ家となっている公園の貸しボート小屋で、坪井君が言います。
「クリスマスにはサンタだろ。正月には凧揚げだろ。サンタの凧を作れば両方使えるだろ?」
うーんなるほど。これって突拍子もないようで、でもよく考えてみると合点がいく素敵なアイデアじゃないですかね? お勉強が出来る頭の良さとは別の、生きるうえでの大事な知恵を持った少年なのだということがこの台詞で良く分かるんですが、ラスト、坪井君のさりげなくも画期的なアイデア(知恵)で、山本君のコンプレックスが昇華され、周りのクラスメイトをも笑顔に巻き込むというチャーミングで感動的なエンディングを迎えます。もうここで私はなんか泣きそうになりました。2人で作った「2人のテーマ曲」てのがあるんですが、それがここで生きてくるのですよ。山本君を見つめる坪井君の表情にもグッときてしまい(「優しさ」ってものを知ってる人間の顔をしてるんですよ。ミニチュアジャイアンみたいな容姿なのに、こんな表情が出来るなんて!)最後に視力検査の先生が言う「はい、1.5」がまた素晴らしい。


偶然なのかちょっとした遊び心なのか、貸しボート屋内の柱に貼られたカレンダーに書いてある「ひとりじゃないよ」という文字も、なんだかほっこりさせられる。「ああ中学生日記見てて良かったなあ」と思いました。



余談ですが、当人の抱えているドラマと架空の物語をシンクロさせる(そこに作り手個人の経験や思いが乗っている)という作品作りって、AVにも通じるところがあると思うのですね。まるっきりの作り事ではなく、そこにほんの少しのリアルが紛れ込むことによって、ドラマに説得力と感動が増すし、(AVの場合)そのリアリティと隙間に見ているこちらは入り込み、興奮できると思うのです。前に日記に書いた『奈落の舞 浅倉舞』や『やりすぎ家庭教師 長谷川瞳』はそういう作品です。そんなAVを、また誰か作ってくれないものでしょうかね。